宮崎の小児科医・貴島テル子150通のラブレターの感動の内容 アンビリバボー

5月23日奇跡体験!アンビリバボーで、小児科医の貴島テル子(97歳)さんの150通の純愛ラブレターが特集されていました。半世紀を越えて奇跡の愛を育む、日本最高齢の現役女医の愛に溢れた生き方に感動させられました。

5月23日は523のゴロ合わせで「こいぶみ」恋文の日と言われていることから、この日放送のアンビリバボーは、ラブレターにまつわるスペシャルでした。

その中で、心打たれたのは、宮崎県で小児科を営む貴島テル子さんの純愛ラブレターの特集です。

 

貴島テル子

 

未だ現役医師として活躍する貴島テル子さんは、97歳にしてインターネットを使いこなし、メールのやり取りもできるそうです。

 

今までみてきた子供達の数は7万人、親子3代でかかりつけるほど長く活躍しているテル子さんは、宮崎の母的存在のお医者様です。

 

小児科を選んだ理由は、自分たちに子供が居なかったから、世の中の子供を観ていこうという理由で、迷い無く選択したそうです。

 

 

150通の純愛ラブレター

夫・貴島政明さんとの出会いは、友人の実家へ遊びに行ったさいに、兄として紹介されたこと
その友人の実家は、町の開業医をしていた

政明とテル子は、すぐに思いを寄せ始め恋愛が始まる

 

テル子の父親はエリート外交官、中国へ渡る事になった際には、常に手紙のやり取りで愛を育み、長距離恋愛の間に、テル子は手作りの自分の人形を政明に贈っていた。

 

その人形を、お嫁にきたテル子として政明も大切にしていた

父の外交の仕事でまた日本に帰国すると、2人は結婚を決意する

 

しかしテル子の父はエリート外交官、日中戦争が始まろうとしているときに、軍人で海軍の飛行士をする政明との結婚を認めることができなかった。軍人のパイロットに、命の保証の無いということを知っていたから、賛成できなかった。

 

しかし2人の心の結びつきを誰にも止められず、宮崎神宮で晴れて結婚をすることになる

アンビリバボーテル子

 

晴れて夫婦となった2人だが、新婚生活を始める新居をかかえる暇さえなかった
政明の実家で、たった数日2人で過ごしただけ

 

やがて戦争は激化し、政明さんは台湾の軍航空隊に配属となる

 

このころの愛に満ちあふれた手紙のやりとりを、テル子さんは自伝で一番幸せなときと語っている

 

政明さんが送った手紙:

こんな言葉は軽々しく口にしてはいけないのでしょうが、本当の意味の清純な愛という言葉があります。貴方が許してくださるなら、僕はこころからあなたにこの言葉を贈ります。

 

こんな愛情溢れた手紙でのやり取りが続いていた中、手紙に変化が起る

第二次世界大戦が始まり、手紙の内容が一変してしまう

 

これまでの愛に満ちた言葉は無く、内容は死を覚悟したものばかり

「軍人として立派に死ねるように願って欲しい」という内容

 

そんな手紙ばかりが続いて、遂にはいくら手紙を書いても、返事がこなくなってしまう

開戦後1年目に小包が届く

 

中身は、投函されることの無かったまさあきが書いた手紙だった
そして軍からの、夫の戦士の通知が添えられていた

 

こうしてあまりにも短い結婚生活に終わりを告げた
ともに過ごした新婚生活の日々は、わずか75日だった

 

夫の死は打ちのめされただただ大声で泣き続けた

 

残された手紙の内容も、軍人として死を覚悟する内容ばかりだった
哀しさのなかでその中にあった一通の遺書すら、目を通すことができずにいた

 

何日も泣き続けた後、テル子さんが夫の遺書を読む事を決意

遺書は、短い結婚生活でテル子に幸せを与えられたなったことを謝り、自分の亡き後は、「しかるべく身を処せられよ」とあった。この部分から、以前に夫が女性の自立を応援していたことを思い出す。

 

その遺書を読んで、テル子は夫の思いに報いたかった

 

政明の家をでて、実家に戻り、医師になって帰ってくることを政明の両親に約束

猛勉強の末、大阪の女子医専に合格
その後も勉強を続け、33歳で医師になった
迷う事無く小児科を選んだ

 

約束通り医師として貴島家へ戻り、宮崎で医師として開業、今も宮崎の子供達を観続けている

 

テル子さんは、戦死者慰霊祭に積極的に参加していた

 

その慰霊祭で、夫と同じ舞台に所属していたの戦友から夫のテル子さんに対する本心を知ることとなる

 

その戦友の話から、夫が昔テル子さんが贈った人形を、常に肌身離さず持っていたことを知る

 

愛を語らなくなった手紙から、戦争が彼を変えてしまったのかと思っていたテル子さんは、本当は政明さんが、最後の瞬間までテル子さんを思い続けて戦死していった事を知る。

 

テル子さんは、再婚を考えなかった。そういう思いは無かったと語った。

 

75年越しの奇跡の愛の証しは、150通のラブレターが証明していた。

これぞ純愛の、素敵なお話でした。

 

 

政明さんは、常に死と隣り合わせの戦時中、どれだけ故郷の妻に思いを寄せたのだろうか。

そして、ずっと思いを寄せたまま待ち続けるテル子さんの気持ち、どれだけの大きな愛だっただろうか。夫の思いに報いたい気持ちから、お医者様になったテル子さんが75年をも夫を思う気持ちの大きさ。

 

戦争を知らない現代の人には、決して持つ事のできない大きな「愛」

 

携帯もメールもない時代、2人をつないでいた手紙に込められた思いの大きさに感動しました。

人とつながりを持つ事が簡単で、携帯やインタネットの普及した便利な世の中、それでも手紙の良さ、手紙にしかない素晴らしさ、手紙の素敵さを知った気がしました。

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